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「変わらないもの」について考えてみよう

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2021.07.16

ディレクター 前田英治

「環境と遺伝とによって一民族のあらゆる個人に与えられる共通の性質の全体が、この民族の精神をつくりあげる。」Gustave Le Bon(1895), La psychologie des foules(ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫[訳](1993).『群衆心理』 講談社)

2021年から「風の時代」へ

2020年の暮れ、天文ファンは大いに沸いたに違いない。木星と土星が397年ぶりに大接近するタイミングだったからだ。大接近といっても実際に2つの惑星が大接近しているわけではなく、あくまで地球から見た接近である。木星と土星が接近する現象は約20年に1度のイベントとなっているが、今回ほどの大接近はなかなか見られないものであったそうだ。木星が太陽を周る公転周期が12年、土星が30年であることから、両惑星は年あたり18°ずつ間隔が拡がる。そのため360°÷18°=20年のピッチで(太陽から見て)再び同じ方向に並ぶことになる。

一方、占星術の世界でも今回の木星と土星の大接近は大いに注目された。

両惑星の接近はグレートコンジャンクションと呼ばれ、単に珍しい現象以上の意味を持っている。西洋占星術では、今回のグレートコンジャンクションはそれ以前200年続いた「地」の時代から、「風」の時代へと切り替わることを意味しているという。「風」の時代は情報や知性、コミュニケーションがキーワードになるとのことだ。ちなみに、以前の「地」の時代は権力、上下関係、物質がキーワードになっていたのだそうだ。

2020年は占星術ではなくても時代の流れが大きく変わったと感じた人は多いだろう。そういう背景もあってか、今回の木星と土星の接近は、ケプラーの法則に従った単なる惑星の運動の話以上の意味を見出そうとする人が多かったのかもしれない。

天体観測の歴史は古く、有史以前までさかのぼる。古代エジプト文明や中国文明、オリエント文明などでは、天体を観測したであろう構造物や観測の痕跡が残されている。

天体の運行は規則性があることから、農耕の時期を知る手がかりとして用いられた。それらは暦や日時計となり、現代に至っている。また、その規則性に着目すれば星の位置を予言することもできた。星の位置が予言できれば、星の位置と関連づけられた現実世界のできごとが将来どうなるかも予測することができた。米の収穫時期は、「毎年この星がこの辺りに来たときだ」、というような「予言」が可能となったのだ。

現代人である私たちは生まれた時から当たり前のように時計やカレンダーに囲まれて生きているため、それらが存在しなかった時代のことはもはや想像できない。そのため、星の動き方をパターン認識し予測することは、古代社会においては一級品のテクノロジーだったこともなかなか想像し難い。例えば、現代の日本人にとって、南海トラフ地震などの巨大地震が次いつ発生するのかということは大きな関心事項であり、また不安事項である。この不安を払拭するために日本全国に地震計を置き、発生の仕方を見ることで次に来る大地震を予知しようとしている(なお、2〜3日以内に大地震が起こるというような予測は、現在の科学的知見では困難であるというのが気象庁の見解である)。同様に、伝染病や飢饉、気候変動などの不安に常にさらされてきた古代人が、そうした不安を拭うためにも、天文学という最新のテクノロジーを使って未来を予知できるのではないか、と考えても何らおかしいことではないと言えるだろう。その対象は、やがて米栽培などの農耕活動に留まらず、共同体の運勢や日々の祈りごと、果ては国政に至るまで星の動きと関連付けられ、それらがやがて占星術となったのだ。

地理的条件と地政学

次に、私たちが住む地球に目を向けてみよう。古来、文明が発達した場所には、海洋につながる大きな河川とその河川が運んできてできた肥沃な土地がある。世界四大文明はこのパターンだ。こうした地理的条件は文明の興隆にとって重要だったに違いない。文明が興れば社会が発展し、社会が発展すれば人間の思考力もどんどんと変化する。やがて文明同士は相互に連結され、交換経済を介して独自の発展を遂げていく。地理的条件は、このような人間社会の発展の基盤を形成し、ひいては人間のものの見方や考え方にまで影響を及ぼしたと思われる。

ひとつ例を挙げてみよう。現代地政学の祖と言われるハルフォード・ジョン・マッキンダーは、その著書「マッキンダーの地政学(デモクラシーの理想と現実)」(Halford John Mackinder 1919, 曽村保信 2008 ※1)において、ユーラシア大陸の中心部分を「ハートランド」という独自の概念で括り、ハートランドを制するものがユーラシア大陸、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸を制覇する(これら3大陸のことをマッキンダーは一つの島とみなし、「世界島」と定義した。)と述べた。ちなみに、マッキンダーがこの著書を書いた頃はちょうど第一次世界大戦の終戦直後である。航空機による空爆や大陸間弾道ミサイルなどはまだまだ発展途上であり、戦車や装甲機、大砲などが主に用いられ、塹壕戦が主体であった。

ハートランドとは、ユーラシア大陸のうち、西はウラル山脈から東ヨーロッパ、南はイラン高原からチベット山脈、東はトランスバイカル山系、北は北極海に囲まれた部分であり、現在でいうと大部分がロシアの領土となっている。ハートランドの内陸部分は西シベリアから中央アジア、そして東ヨーロッパのボルガ川の盆地一体が平野部としてつながっており、世界最大の低湿地帯となっている。

ハートランドの北は北極海に面しているため、川を上って南下し、大陸内部に侵入することはできない。おまけに大陸北部はひたすら針葉樹に覆われている。南はチベットの山岳地帯に囲まれており、これまた容易に越えることはできない。あるのは東西に渡って延々と続いている低湿地帯であり、この低湿地帯に適応できたのは、騎馬民族だけであった。これが、マッキンダーがハートランドを制するものが世界島を制すると述べた所以である。

このような地形そのものは、当然だが人類の有史以来ずっと変わらない。そして、地形が必然的に対外侵略のコースを限定し、同じ場所で何度も衝突が起こる構造を作り出した。その一つがパレスチナである。パレスチナは東方から騎馬民族、南方からはラクダに乗った遊牧民族、西方からは地中海の艦隊に狙われる位置にある。パレスチナが火薬庫となるには、何も石油が出る出ないの話以前に、それなりの理由があったのだ。

地形は人々の動きを規定し、そこに住む人にとってどのようなことが起こりやすい土地なのかということを継承していく中で、次第に人々の考え方やものの見方に影響を与えていく。私たちが住む日本の国土は、外部を海という自然の防波堤に囲まれている。そのため、大陸の国家のように地続きで隣国から攻め込まれる歴史を繰り返してきた国とは、必然的に異なった国防意識を形成してきた。

地政学は、このように長年変わらないもの(地理的条件)を起点として、将来もそれが変わらないという合理的な予測のもと、国家戦略なり戦術を組み立てていくような考え方だと言えるだろう。

運動方程式と絶対空間・絶対時間

「変わらないもの」を起点にしたものの考え方はまだある。

近代物理学の父ともいわれるアイザック・ニュートンは、その著書「自然哲学の数学的諸原理」(通称「プリンシピア」)において、静止していてもどんなスピードで動いている人から見ても、どんな場所にいる人でも、見る人にかかわらず常に一定の進み方をする時間の存在を「絶対時間」として定義した。ニュートンの言葉から引用してみよう。

絶対的な、真の、そして数学的な時間は、おのずから、またそれ自身の本性から、他の何者にもかかわりなく、一様に流れるもので、別の名では持続と呼ばれる。相対的な、見かけ上の、そして通常の時間は、運動というものによって測られる持続の、ある感覚的な、また外的な測度であり、普通には真の時間の代わりに用いられる。すなわち、1時間、1日、1ヵ月、1年といったたぐいである。(Sir Isaac Newton, 1687 中野, 2019)※2

同様に、どんな動いている物体から見ても、常に静止していて固定された空間の存在を「絶対空間」として定義した。

絶対的な空間は、その本性において、いかなる外的事物にも無関係に、常に同形、不動のものとして存続する。相対的な空間は絶対的な空間のある可動な寸法あるいは測度であって、諸物体に対するその位置により、我々の感覚がそれを決定するが、普通にはそれは不動の空間と考えられる。(Sir Isaac Newton, 1687 中野, 2019)※2

ニュートンが導き出した運動の法則の第一の法則は、慣性の法則である。慣性の法則は、物体が外力の作用を受けない限り、静止していれば静止したままの状態を維持し、ある速度をもてばその速度のまま等速直線運動をする、というものである。慣性の法則は、我々が力学現象を観測するときには、慣性の法則が成り立っている座標系(慣性系という)で観測しなければならない、という一種の要請を表している。かの有名な第二法則F=maは、物理現象を慣性系から観測してはじめて成立するのである。したがって、例えば地表で静止している人(地表を慣性系とみなす)から見て静止している物体を、加速と減速を繰り返す車の中(非慣性系)から観測したとしても、F=maは成立しないのだ。車の中の観測者から見ると、物体には加速度が働いて見える(つまりa≠0)ため、Fは0以外の値を取るが、実際には地表から見ると物体は静止しており、外力Fは働いておらずその大きさは0だからである。観測者が慣性系の立場から観測して初めて、F=maのFが外力として定義されるのである。

ニュートンはこのような慣性系の存在として、客観的な絶対静止系が存在していると考えていた。また時間についても、誰の目から見ても同じ時間の流れ方をするという「絶対時間」の存在を前提としていた。ものが動くさまを数式で描写しようとするのであれば、どこかに「誰の目から見ても不変な場所の起点や時間」が存在しているという認識を置かなければ、描写するのに都合が悪い。周りに何も無い宇宙空間を漂っている飛行船でさえも、位置と速度が描写できるようにするには、そうした前提がなければならないのである。

光速度不変の原理

ところが、このような絶対空間や絶対時間の存在は、1905年にアルバート・アインシュタインが特殊相対性理論を発表する中で否定された。

19世紀半ばにジェームス・クラーク・マクスウェルにより発表されたマクスウェル方程式から導かれる、電場と磁場に関する波動方程式により説明される電磁波の伝播速度は、光速度cとほぼ一致することから、光は電磁波であると予想されていた。光が波であるならば、音が空気を媒質とするように、何らかの媒質がなければならない。そこで宇宙全体を満たしているはずの媒質が想定され、それは「エーテル」と名付けられた。1887年、マイケルソン=モーリーの実験において、このエーテルの干渉により光の速度が変化することの検証が試みられたが、検査の精度を上げても、光の速度はどのような状況下でも実験誤差と呼べる程度の差しかなかった。媒質がなくても伝播する波が存在するとは、当時の理論からは受け入れ難いものだったため、この実験結果の解釈を巡っては様々な説明が試みられたが、矛盾なく説明しきれるものは存在しなかった。

そこで見方を変え、マイケルソン=モーリーの実験結果は、説明するべき対象ではなく自然が私達の前に表した摂理のようなものであり、光速度があらゆる慣性系からみて同じ値を取るということは一種の要請であるとして、光速度不変の原理として受け入れるべきだと考えたのが、アインシュタインである。

どのような慣性系から測定しても光の速度が一定であることは、これまでの座標変換の考え方を見直す必要性を生じさせた。

ニュートン力学では、ある慣性系で測定されたある物体Aの位置と速度の関係は、別の慣性系から測定した物体Bの位置と速度の関係に対して、座標変換を施すことで法則性が維持できた(この変換をガリレイ変換という)。簡単に言うと、地球上を時速5kmで歩いている人を、同じ向きに時速50kmで走る電車に乗っている人が追い越すとき、電車の中の人からは歩いている人が電車の走る逆向きに時速45kmで移動しているように見える。そして、歩いている人からは時速45kmで自分の後ろから追い越されるように見える。つまり、地表が静止している慣性系だとすると、地表に対して時速50kmで走る電車の運動の様子は、ガリレイ変換によって時速5kmで移動している慣性系(=歩いている人)の座標上の運動の様子に変換できる。そして、変換の前後で全く同じ物理法則が成立するのだ。

ところが、光速で動く物体を慣性系から測定した場合、光速度はどの慣性系でも同じ値をとるため、ガリレイ変換は成立しない。そこでアインシュタインは、光速度不変の原理に対応する座標変換として、新たに「ローレンツ変換」を導入した。

ローレンツ変換では従来の3次元座標空間(x,y,z)ではなく(x,y,z,ct)(cは光速度、tは時間でctは長さの単位を表す)からなる、4次元座標空間を用いる。ローレンツ変換は(式が複雑なので割愛するが)、その要素に時空を含んでいるため、変換前の慣性系で同時に起こっていた2つの物理現象が存在していたとしても、変換後の慣性系では同時ではないということが起こりうる。つまり、ニュートンが想定していたような絶対時間、絶対空間は、アインシュタインの相対性理論の中で完全に否定されたことになったのだ

かくして、ニュートンが「変わらないもの」を基準として想定した、ものの運動の様子を描いた理論はアインシュタインによって上書きされ、かつての絶対座標系や絶対時間は存在しなくなった代わりに、光の速度が新たな「変わらないもの」として受け入れられて現在に至っているのである。

変わるものと変わらないものとの関係

さて、上記で検討してきたそれぞれの項目は、いずれも「変わらないもの」を基準に物事を関連づけるという構造を持っている。占星術は天体の動き方のパターンに物事を関連づけ、不確実な未来を予測する。地政学は地理的条件をベースに長期的に人々に共有された一種のものの見方や考え方であり、同一の地理的条件下にある人の集団が不確実な周辺環境を生き抜くための指針となりうる。

そしてニュートンは、物体の運動の様子を表す方程式を作る前提として絶対静止座標系を想定した。運動する物体の未来の時間における位置とスピードが、これにより予測可能となり、未来は決定論的に定まっているものという考え方も現れた。

かつて紀元前のギリシア人哲学者ヘラクライトスは、万物は流転していると考えた。また、仏教の創始者で仏陀となった釈迦は、この世が「諸行無常」であると悟りをひらいた。つまり、これまで人類が直面してきた自然は予測不可能であり、混沌としたもの(カオス)であると考えられていたのだ。しかし、自然がカオスにしか見えないのであれば、人類がその中で文明を育むことは不可能だったはずだ。

変転し続ける自然の中で何か変わらない固定点を見つけることで、その変化自体を認識することが可能となった。「変わらないもの」を基準としてその変化を観察することが、科学の基本的姿勢と言えるのではないだろうか。

地政学や占星術は、「変わらないもの」と「変わるもの」との関連性については何かを語ってはいるが、その繋がりが詳細に理論化されているわけではなく、ここに論理的なつながりの弱さがある。占星術で言えば、あくまで天体の運動と世の中の事象との関係性を述べているだけであり、何故そうなるのかについての作用機序は明確ではない。そのため、「変わらないもの」を基準にした言い方さえ守れば、事実上何でも言えてしまう。占星術や地政学がしばしば政治と結びついてきたのは、その影響が大きいのではないだろうか。

一方で、ニュートンやアインシュタインが展開してきた物理学のような学問は、物事が起こるメカニズムを論理的に説明する。しかし、「変わらないもの」をそのスタートに置いているため、そこが変わると全てが変わってしまうという構造的弱さがある。ニュートンの理論体系など、まさにその例だろう。相対性理論にしても、もし将来どこかで光速度不変の原理が覆されるようなことがあれば、全てが覆る。

ピーター・ドラッカーがマネジメントという概念を発明して以降、マネジメントが発達した現代の国家組織や企業体が構築した世界は、一見安定しているように見える。しかし、バブル経済やリーマン・ショック、大震災やコロナ禍など、定期的に「想定外」の事象を生み出すこととなった。なぜならば、そうした事象を想定の外においたのは、他ならぬマネジメントの仕組みだからだ。システマチックに構築された管理体制が網の目を張り巡らしてはいるものの、システムはその前提条件が覆されると、非常に脆い姿を露わにする。

2021年から「風」の時代が始まると言われているのも、なにかの因縁があるのだろうか。これまではマネジメントが作り出した「安全神話」という虚構に包まれて安心できていたフェーズだったが、これからは「変わらないもの」を渇望する時代と向かい合っていかなければならないと考えられないだろうか。

※1 Halford John Mackinder(1919), Democratic Ideals and Reality: A Study in the Politics of Reconstruction(ハルフォード・ジョン・マッキンダー 曽村保信 [訳](2008).『 マッキンダーの地政学』 原書房)

※2 Sir Isaac Newton (1687), Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica(サー・アイザック・ニュートン 中野猿人 [訳](2019). 『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第1編 物体の運動』 講談社)

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