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官僚制の今後について考えてみよう
やはり人気のある勧善懲悪ストーリー
少し前の話になるが、テレビドラマ「半沢直樹」の最終回視聴率は関西地区で46.6%となり、サッカーW杯を抜いて過去最高水準となった。普段はサッカーに興味がないという人もW杯は見る、という人は多く、これはこれで一つの社会現象と考えられる一方、半沢直樹の最終回についてはそれ以上の注目度だったのである。いかに半沢直樹というテレビドラマが受け入れられたかということだろう。
その要因についてはおそらく色々な見解がありうるとは思うが、キャストの豪華さもさることながら、一介のサラリーマンにすぎないはずの半沢直樹が、強大な権力に屈さず知恵を絞って立ち向かい、コテンパンにやっつける姿に多くの人は「スッキリした」のではないだろうか。 TV時代劇が全盛期だった1950〜60年代から半世紀以上経過しているが、痛快な勧善懲悪ストーリーはいまだ多くの人に支持されているということだろう。
ここで考え方を少し変えてみると、また別の視点が浮かび上がる。それは、多くの人は半沢直樹(のような考え方をする人)ではないということである。
組織が悪事を働いた時、多くの人はそれを知っていても知らないふりをするか、知っていても今の自分のポジションではどうしようもない、という反応をすることが普通だろう。だからこそ半沢直樹の存在が特別なものとなり、ヒーロー性を帯びてくるのである。
巨悪を知りながらも淡々と組織の命令に従っている普通の人々を半沢直樹が煽ったところで、そこに巨悪の姿は見えてこないし、ストーリー映えもしない。勧善懲悪のストーリーには、正義のヒーローに見合った諸悪の根源となる巨大な悪の存在が必要なのだ。
さて、そこで現実世界に眼を向けてみると、「事実は小説よりも奇なり」という諺があるように、実は歴史上最大級といってもいい凄惨な出来事に関わった組織内の「普通の人」が全世界から注目された時があったことをご存知だろうか。
エルサレムのアイヒマン
1960年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで農家を営む一人の人物がイスラエルの諜報特務庁に捕らえられ、イスラエルに連行された。その人物はアドルフ・アイヒマンといい、かつてナチス・ドイツの親衛隊中佐を務めた男だった。第二次世界大戦後の1945年にニュルンベルク裁判でナチス・ドイツの主要戦犯者は大方裁かれたが、アイヒマンはアルゼンチンに逃亡し、そこで家族とともに潜伏生活を送っていた。
アイヒマンはナチス・ドイツにおいてユダヤ人の強制収容所への移送業務を指揮した中心的人物とされ、イスラエルにおける裁判で有罪・死刑となり、1962年に刑が執行された。裁判は1961年4月からエルサレムで公開され、その裁判を終始傍聴し続けたユダヤ人の政治哲学者、ハンナ・アーレントにより、後にその裁判記録は1963年発売の雑誌「ザ・ニューヨーカー」に連載され、後に「エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」(ハンナ・アーレント,1969)として書籍化された。
この記録は公表とともに世界中から大きな論争を巻き起こした。アイヒマンは悪意に満ち、反ユダヤ主義を徹底するようなサディスティックな人物として当時の国際社会からは想定されていただろう。ところが、アーレントの報告によるとアイヒマンは極悪人でもサディスティックでも反ユダヤ主義でもないばかりか、出世欲と虚栄心の強い、無思想な小心者で有能な官吏でしかなく、どこを探しても極悪非道な悪の姿を見つけることはできなかったのである。
ホロコーストの重要な役割を担った人物が平凡な一介の公務員だったという事実は、世界中に驚きを与えた。なぜこのような人格異常者でもない平凡な人間が残虐行為を行えたのか、人々には説明が必要となった。
ミルグラム実験
1963年、米国イェール大学の心理学者であるスタンレー・ミルグラムにより、「権威のある人間から指示を受けた人間はどのような心理状況になるのか」という視点での実験が行われ、その結果が報告された。ここにその実験の内容を記載しておこう。
「記憶に関する実験」と称して新聞広告で実験協力者を募り、参加者を教師と生徒の2つに分類する。実験は教師と生徒の2名の被験者の他に、白衣を着た実験担当者の3名で実行される。生徒のみ別室に分けられ、教師は生徒と音声を通じてやりとりを行う。「学習に関する罰の効果を測定するもの」と、被験者には説明がなされた。
先生役は簡単な単語の暗記問題を生徒に出し、答えられれば次の問題へ、答えられなければあらかじめ生徒に設定している電流装置のスイッチを押し、生徒に電気ショックを与える。電圧の強さは調整できるようになっており、最初の設定では45ボルトの電圧をかけるが、生徒が1問間違えるごとに15ボルトずつ電圧を上げていく、というものだった。
最初のうちは生徒の声も軽い不快感を表すものであったが、120ボルトあたりになると大声で苦痛を訴える、150ボルトで絶叫する、300ボルトで壁を叩いて実験中止を訴える、など生徒の反応は電圧が上がるほど激しくなっていく。しかし実際は、生徒役は全てサクラであり、真の被験者は教師のみであった。そして実際には電気ショックは与えられておらず、あらかじめ電圧の強さに応じて録音しておいた音声が流れているのみであった。
教師役の被験者が、今日会ったばかりでなんの罪もない生徒が苦しむ様子を目の当たりにして実験の続行を拒否しようとすると、白衣を来た博士風の男が冷徹に実験の続行を求める。迷いながらも教師役はボタンを押し続け、いよいよ生徒の絶叫が聞こえなくなり、反応がなくなってしまってからでもまだ続行を指示される。そこで拒否をしても問題が生じた場合は実験の主催者側が責任をとるから、と言われ続行を促されるというようなものだった。この実験で40名の教師役のうち、抵抗を感じながらも最高電圧の450ボルトまで電気ショックを与え続けてしまった被験者は26名にものぼった。
これほどまでに指示に従った人が多かったのは、「これは実験だから仕方ない、実験主催者側の責任で実施しているものだから」、というような責任転嫁のメカニズムが教師役に働いていたからだということは容易に想像できる。
そこで、更に分業を進めて拷問への参加意識を低下させるような仕掛けのもとでの実験も行われた。つまり、ボタンを押すだけの係と、生徒の回答の正誤判断及び間違えた場合の電圧の強さの読み上げをする係とに、作業を分けて行ったのである。この場合の被験者は、後者の正誤判断と電圧の読み上げの役割である。押すと悲鳴が聞こえるボタンを押すのは別の担当になる。
その結果は予想通り、責任回避のメカニズムが強く働いた結果、最後まで拒否せず電気ショックを与え続けた人は40人中37人にものぼった。
この実験は、性別はもとよりさまざまな職業や思想、社会階級、人種の間で行われ、米国以外にもさまざまな国の異なる背景の下でも実施された。また、実施されたタイミングも1960〜80年代と特定の時期に偏らないように実施された。
結果はどのようなものであっても常に高い服従率が得られた。つまり、ナチス・ドイツのような特殊な思想の下でもなく、特定の国や思想、人種、時代背景などにもよらず、人間は権威によって命令され、責任転嫁が行える状況下では残虐な行為を行ってしまうという、人格のあり方を根本から考え直さざるを得ない衝撃の結果となったのである。この実験は心理学の実験の中でも最も再現性が高いものの一つであり、耳にしたことがある人も多いだろう。
官僚制の威力
ミルグラムの実験結果は、ナチス・ドイツが行った戦争犯罪が個人の資質などではなく、高度なルールと指揮命令系統・分業体制を持つ官僚制組織によってより短時間かつ大規模に展開可能になったことを示唆している。ユダヤ人の名簿を作成するもの、その名簿を見て収容所への搬送ルートを決めるもの、搬送作業を行うもの、ガス室の建築を行うもの、有毒ガスの調達を行うもの、このように作業は細かく分割され、決して全体像を見渡す必要などなく、ただ単に目の前の単純作業をこなしていればよい状態が作られた。こうして人道に背く戦争犯罪の片棒を担いでいるという精神的苦痛は麻痺させられたのである。
官僚制と聞くと、融通が効かないお堅い役所仕事のようなイメージや、大企業病のイメージ、ルールの遵守が目的化されてしまい、新しいことができなくなるというような欠点(官僚制の逆機能と呼ばれる)が目立つ組織というイメージがあるかもしれない。しかし、これだけ欠点を指摘されながらも今日多くの組織で採用されていることを考えると、それは、官僚制組織を代替する組織のあり方がなかなか見つからないということなのだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。
自由からの逃走
人間は生まれながらにして自由であると、現代人である我々は当然のように思っているが、歴史を振り返るとそうではなかった。その時代ごとに被支配者と支配者がおり、被支配者は支配者から逃れ、自由になるために時には戦うことを選んだ。
他方で、自らの命を賭してまで手に入れた自由を、今度はむしろ積極的に手放しそこから逃れようとしてきたのもまた人間の歴史の一つの側面である。このことを指摘したのはドイツの社会心理学者、エーリッヒ・フロムである。
彼は、その著書「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム,1952)において、自分がもともと属していた社会(中世であれば封建社会)から自由になるということは、同時にその社会との間にできていた絆を失い孤独になることでもあり、自由になった個人は新たにできた社会体制との絆を作り直していく覚悟と責任が求められるということであった。封建社会の後に出来上がった資本主義社会は、人間を労働力と看做した。個人は生産手段としてその価値を社会に証明することによって孤独感を解消していくことが必要となったのである。
しかし、大半の人は新しく出来上がった資本主義社会への適応は辛く、しんどいものであった。その時人間がとりえる反応として代表的なものに、「逃避」があった。
逃避は資本主義社会への適応ではなく、かつての封建主義社会で得られた精神的安心感(=絆で結ばれているという安心感)を与えてくれるような、その時代に合わせた別の権威的組織への服従を選ぶ道である。エーリッヒ・フロムは第二次世界大戦当時、その受け皿としてナチス・ドイツが機能し、当時の大多数の人は権威的組織への盲目的服従から得られる「絆」を選んだと分析している。かのアイヒマンも、そのような一人だったのだろう。
官僚制組織はそのような服従を選んだ人に場所を与え、役割を生み出した。その結果、それを求めて戦いまでして得た自由を捨てさせるということと引き換えに。
AIと官僚制組織
昨今、盛んにAIが人間の仕事を奪うという話題が出ているが、このうち官僚制組織は実際どうなのだろうか。
一つ、先行事例がある。北欧のエストニアは世界に先駆けて「電子政府」を作り上げた。行政サービスの99%はクラウド化され、web上で完結するという。ブロックチェーンの技術を用いているため、容易に第三者には改竄できず、セキュリティ面でも先進的である。
ここからわかるように官僚制組織のアウトプットはwebサービスに置き換えることが可能であり、またwebサービスに置き換えられるのであれば、ヒューマンタッチが必要なところ(重要な意思決定など)以外はAIで代替可能である。テクノロジーの発展は指数関数的な過程を経て進行していくため、いったん指数関数のカーブに乗れば、1の隣は10であり、10の隣は100である。つまり10年後に実現可能と言われていることが数年後に達成されるということが普通に起こりえるという世界なのだ。
現在のコロナ禍がデジタル化社会を後押ししていることは間違い無いが、今後、世界で同時に大量に刷りまくった紙幣という物理量が貨幣経済空間に対して何らかの「おとしまえ」をつけさせるタイミングが来るだろう。これは貨幣経済がその国際的信用を維持するために求めるルールの遵守であり、規律の維持である。AIは、短期的にはデジタル化社会の後押しとして、中長期的にはそういった外圧を進化圧としてさらに普及・発展し、現在の一般的な予想水準よりも早いスピードと規模で人間から仕事を奪っていくだろう。
失われる絆
今後、AIが普及過程に入ることによって人間がこれまで果たしていた役割は徐々に機械に置き換えられていく。そうなった時、多くの官僚制組織もその影響から逃れることは困難だろう。今現在自分の価値・自分の居場所を証明してくれているものは、数年後にはなくなっているかもしれない。これまで人間を労働力と見なしてきた資本主義社会は、機械が労働する時代へと移り変わっていくことになる。つまり、人間は労働からの自由を得るのだ。その引き換えに失うものは、かつて人間を「生産力として」価値あるものとしてみなしてくれた社会との絆である。
機械が労働する時代においてはベーシック・インカムにより所得補償をすれば良いという議論もあるが、これはあくまで労働と資本の関係が崩れてゆく中で、資本主義社会の形だけを擬似的に維持する試みに過ぎないのではないだろうか。労働からの自由を得た人間が失った絆はもう戻ってこない。
このような背景を念頭に置きながら半沢直樹というドラマが高視聴率を叩き出したことの意味を改めて考えてみると、単に優れた勧善懲悪のストーリーだったというだけではなく、多くの人がいまだに半沢直樹に自分の姿を投影している現実が垣間見える。
そこにあるのは程度の差こそあれ、自分が属する官僚制組織が変わらないことへの諦めと、諦めることによって得られた絆の存在である。