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ガバナンスについて考えてみよう

Insight

2020.10.08

ディレクター 前田英治

敵対的TOBの成立

2020年9月8日、日本では非常に珍しい敵対的TOBが成立した。株式会社コロワイドによる株式会社大戸屋ホールディングス(以下、「大戸屋HD」)の普通株式の公開買付である。これによりコロワイドはTOB前に大戸屋HD株の議決権所有割合19.16%となっていたのが、TOB後には46.77%の議決権所有割合となり、半数近い議決権を手中に収めた。

その後コロワイド側は間髪入れず現経営陣全員の入れ替えを要求する株主提案を行っており、これが株主総会で成立すれば大戸屋HDの現経営陣はすべてコロワイドが送り込んだ経営陣に入れ替わることとなる。

こうした事態が生じた背景には大戸屋HDの業績低迷があるだろう。コロナ禍に見舞われた2020年3月期こそ11億円の最終赤字となったが、それ以前においても既存店売上の減少に悩まされ、売上高が伸びず利益率も低下していた。コロワイドによる敵対的TOBは、長引く業績不振を解決できない現経営陣に対する大株主からの退場勧告だったのである。

敵対関係が全面に現れながら経営権を争奪するケースは、和を重んじる精神が社会のベースとして存在する日本においては極めて異例であり、資本の論理に基づいたガバナンスが和の精神を超えて機能した数少ない実例と考えることもできるだろう。日本の企業の約7割はオーナー企業や同族経営と言われるように、大戸屋HDの現社長も創業家出身の前社長・三森久光氏の従兄弟である。日本の経営は創業家が株の大半を握り、実権を持ちながらその子孫へと経営を引き継いでゆくスタイルが一般的なのである。

オーナー経営者のガバナンス問題

大戸屋HDのように株式を上場させている企業であれば資本市場を通して議決権を握り、株主として会社の経営体制にメスを入れることができる。つまりガバナンスを機能させる手段がある。しかし、日本のオーナー企業の大半は株式上場しておらず、株式譲渡制限がかかっている非公開会社である。上場企業のように公開された資本市場を通して議決権を集めることはできない。

ここで一つ、疑問が生じる。

創業者一族で世襲されていく経営体制の中で、もし経営に問題があるとしたら、どうやってこれを是正すればいいのか?ということである。これはガバナンスの問題そのものであるが、「支配権と血統による世襲」というように概念を拡張してみると、歴史の中から何らかのヒントが得られるかも知れない。特に歴史的な転換点となる国家の支配者が変わるタイミングで、何らかのガバナンスが効いていたのかどうかという点に着目してみよう。

中国の王朝交代とガバナンス

国家の支配権は皇帝や王族などの特権階級が世襲していくのが一般的な流れである。この流れが一度できてしまうと、非支配者層であり特権階級となんの血縁関係もない人民は、手の出しようがないかのように思えてしまう。しかし、例えば中国を見てみれば古代から夏、殷、周、秦、漢、…と頻繁に王朝(=血統)が入れ替わっている。これはどのようにして起こったのであろうか。

武力によって前王朝を倒したといえば簡単に聞こえるが、実際そう簡単なことではない。それは、厳重に守られた王位を武力で打ち破ることよりも、むしろ打ち破った後で自身が新王朝を建設することをいかに正当化するかということである。なぜ自分は新王朝を建設するのか、なぜ前の王朝は滅びなければならなかったのか、ということを新王朝は民衆に説明しなければならない。気に入らなかったから倒した、では人々はついてこず、それは単なる一事件、一事変として終わってしまう。

そうした背景の中で、紀元前4世紀に孟子が現れる。孟子の思想は、天は自分の代わりに地上を統治させるために王朝を選ぶが、その王朝が「徳」を失ったのであれば天はその王朝に見切りをつけ、代わって新しい王朝に統治させるというものであった。これが天命を革(あらた)めるという意味での「革命」の語源である。

これは言うまでもなく王朝交代を正当化するための理論であるが、こうして徳を失った前王朝は次の天子となるべき徳のある人物に倒されるというアルゴリズムで王朝交代を説明しようとすることを「湯武放伐論」という。そして王朝の姓が変わることを特に「易姓革命」という。

中国では支配者である皇帝の徳が失われた時、革命が起こって王朝が変わるということを理論的に正当化することで、強大な皇帝の権力に対するガバナンスとして機能していたのである。

西欧の革命とガバナンス

次に、西欧ではどうだろうか。西欧で革命に相当するものといえば「revolution」である。かつて中世ヨーロッパには「王権神授説」という、「王様の権力は神様から授かったものだから、平民にはどうしようもありません」という政治思想が存在していた。この思想が絶対王政の根拠にもなった。やがてこの思想は「国家と社会との関係は契約に基づくものであり、神様が王様に与えたようなものではない」とする社会契約説によって否定され、revolutionを支える思想となった。

その最大の例がフランス革命であろう。絶対王政下のブルボン朝を市民が倒した革命である。この革命によって当時の王、ルイ16世はギロチン台に乗せられ、コンコルド広場で公開処刑された。歴史上極端に現れたものはあるが、これは社会環境の変化にそぐわなくなった王政システムを市民が打倒するという形で現れたガバナンスだと言えるだろう。

西欧のrevolutionで見逃せないのは、「神」という存在があることで、国王がすべてのヒエラルキーの頂点に立っているのではないという「国王の権力の相対化」ができたと言う点である。国王の絶対王政下にあったとしても、神はその構造から外部化されたものとして存在することができたのである。

湯武放伐論が革命を正当化したといっても、あくまで天命を受けた王朝が民衆を支配するという構図そのものは変わらず、例えばそこから共和制などの国家支配体制の変革が生まれることはない。一方でrevolutionは広く体制の変革をも含んでいるため、その射程は易姓革命よりも広いと考えられるのだ。

我が国の朝幕並存体制とガバナンス

対して、我が国日本はどうだろうか。もともと日本は天皇家が直接統治する朝廷があり、その後源頼朝が東国武士を中心とした武家政権である鎌倉幕府を創設して以来、朝幕並存状態が明治維新まで続いていた。時代劇などの「将軍様」のイメージがあるため意外かもしれないが、そもそも将軍とは「征夷大将軍」のことであり、これは朝廷から与えられた官職だったのである。実質的には幕府のトップである将軍が政治の実権を握っているが、形式的には律令制のもとで朝廷から与えられた官職を遂行していることになっていたのである。

なぜこのような分かりにくい権力構造になったのか?それを知るには1221年に起こった承久の乱まで歴史を遡らなければならない。朝幕並存状態の契機ができたのは、承久の乱の戦後処理からだからである。

承久の乱の交戦勢力は、当時の朝廷における実質的権力者だった後鳥羽上皇率いる朝廷軍と、当時の鎌倉幕府執権北条義時が率いる幕府軍である。この戦いで幕府軍は朝廷軍に完勝し、後鳥羽上皇を隠岐に配流するとともに、京都に六波羅探題という幕府の出先機関を設置して朝廷を監視下に置くようになった。こうした幕府による朝廷の監視組織は、鎌倉幕府滅亡後も京都所司代など名前や職務範囲を変えながら江戸時代末期まで存在し続けた。

また、幕府は朝廷の皇位継承問題にも影響力を持つようになった。平たくいうと、これ以降の力関係は武家政権が上、朝廷は下になってしまい、朝廷が政治の実権を握ることはなくなってしまった(後醍醐天皇の建武新政は一時的ではあるが除く)。

平安時代中ごろから朝廷は自ら軍事力を放棄し、治安維持や警察機能を新たに台頭した武士に依存するようになった。武士という社会階級が日本の政治上必要不可欠なものとなってきたのである。にもかかわらず、貴族中心の朝廷政治はそうした武士達(もとは農民が武装したもの)の処遇を保証するなどの措置を取ろうとはしなかった。社会階級の変化に伴う階級間の摩擦をうまく処理できなかった朝廷は、幕府という武家政権によってその実権を奪われる形となったのである。俯瞰して見れば、承久の乱は当時の社会問題をうまく解決できない朝廷政治に対する、新勢力によるガバナンスとして機能したと考えることもできるだろう。

前述した2つのケースと一つ大きな違いがあるとすれば、承久の乱に完勝した幕府軍の最高権力者である北条家は天皇家に代わって皇帝を名乗ることもできたはずだが(海外ならそうなる)、それをしなかったという点である。あくまで日本は天皇家が治める国であるという前提の中で、自分が実権だけを握るというやり方は、いかにも日本的と言えなくもないだろう。そもそも日本は八百万の神を信じる国民であり一神教ではないため、天皇家を筆頭とするヒエラルキーの外にそれを超える存在を認められなかったという特徴も関係しているかもしれない。

さて、我が国の政治上の転換点とその時におけるガバナンスの話をしてきたが、これに関してもうひとつ確認しておきたいことがある。それは、「主君押込」(「主君「押込」の構造ー近世大名と家臣団」,笠谷和比古,2006)である。

江戸時代の主従関係とガバナンス

主君押込とは、武家社会確立後、特に江戸時代に、大名の家臣が主君である大名を強制的に隠居させたり、幽閉したりしてトップの座から引きずり落とすというものである。江戸時代は徳川政権により諸国の大名家は統制されており、大名家は当主の領地経営能力が悪いと転封や減封、そして改易の対象とされた。江戸時代は初期と末期を除いて国内で大きな戦乱はなかったので、大名家は徳川幕府から認められた所領をいかにミスなく維持するかといった「生き残りゲーム」をさせられていたのである。そこで最も重要なのは「お家存続」である。最も避けたいのは「お家断絶」で、所領も家臣もすべて失ってしまう、いわば「ゲームオーバー」であり、会社でいえば倒産である。

そういった背景の中、大名の後継が暗君だった場合に家臣はどうするか?

武家社会は主君への忠義が価値観として根底にある社会である。主君とともに死ねることを幸せと考える価値観が浸透していた社会だったのだ。とはいえ、暗君に従い続けて下手をして幕府に睨まれると所領を失うことにもなりかねない。お家断絶となれば主君への忠義など言っている余裕もなく、家臣自身も路頭に迷うこととなる。これは会社で言えば、経営能力に著しい疑義のある社長に忠誠を尽くし続けた挙句、会社ごと倒産して無くなってしまうということである。そのような家臣の葛藤の中で編み出されたのが「主君押込」である。

主君押込の大義名分は「お家存続」だった。つまり、それまで武家社会の絶対概念であった「主君への忠義」は、江戸時代になって徳川幕府の厳しい大名規制の中で「お家存続」にとって変わられたのである。幕府もこれを容認したため、江戸時代の大名家と家臣団との関係は、家臣団によって大名が「モニタリング」され、いざとなればお家存続のために押込によって頭だけをすり替えられるという、そんな主従関係に変容していったのである。

これは言うなれば立派なクーデターなのだが、首謀者はその後も家臣であり続け、決して謀反などではないと考えていた点が特徴的であったと言えよう。

ガバナンスが機能する要件

さて、以上で国家の転換点におけるガバナンスの現れ方を色々見てきたが、まとめるとガバナンスが機能するには下記のような要件が必要だと言えるのではないだろうか。

1.事前フェーズ: 外圧による「価値観の相対化」

西洋の絶対王政が倒された背景には、国王と神との関係を単なる一契約だと解釈することで「国王の権力といえども絶対ではない」という認識が広まったことが大きな影響を与えたと思われる。また、大名家にとって戦乱のない世の中は、生死を分ける戦いから失点を防ぐ生き残りゲームへの適応へと変貌し、家臣にとっては主君への忠義という絶対概念はお家存続と比べられて相対化された。

人間は、自分が考えられないことはそもそもできない。独裁国家と言われる国でしばしば特定のイデオロギーを持つことが禁止されるのも、人間の思想が行動の幅を拡大し、ゆくゆくは独裁者の前に武器を持って現れることが想定されるからこそである。

2.実行フェーズ: 「力」

これまで見てきたガバナンスで最も明白なのは武力をはじめとする「力」である。「力なき正義は無力である」とは、「パスカルの定理」で有名なブレーズ・パスカルが遺した言葉である。

力には武力だけではなく、人心を掴む力や資本の力、ストライキのような団結の力、近代法治国家における法律の力もある。

3.事後フェーズ: 「正当化する理論」

力を持ち、価値観を相対化してこれまで絶対だったものを打倒しようという気になったとしても、その行動を社会に対して正当化できなければ、認められることはない。

正当化の理論は先述の湯武放伐論や社会契約論、お家存続などがあるし、会社経営においては経営者の法令違反(コンプライアンス経営)や株主価値の毀損(企業価値経営)などで経営者が罷免されることもある。

長寿化というファクター

ここで、話を頭書の企業経営におけるガバナンスに戻そう。経営になんらかの問題がある場合、より問題が根深いのは日本企業の大半を占める非公開会社のオーナー企業のケースである。株式市場がないため、「力」の源泉となる議決権を得ることは通常難しく、オーナー兼経営者の牙城を崩すのは容易ではない。

さらに、ここにはもう一つ見逃せない重要なファクターがある。それは、長寿化によるオーナー経営者の長期政権化である。経営者の寿命は本来ガバナンス云々の話とは無関係ではあるが、ガバナンスの究極の目的が「経営者として相応しくない人物を追い出すこと」である以上、「本人の寿命の到来」も事実上同じ効果をもたらす場合がある。

「LIFESPANー老いなき世界」(デビッド・A・シンクレア他,2020)によると、バイオテクノロジーの進展により、今後20年〜30年のうちに人間の平均寿命は110歳を超えることも十分にありうるそうだ。しかも、健康寿命も同様に伸びることが期待できる。それはそれで大変望ましいことではあるが、寿命が伸びるということは経営者として相応しくない人物が長期間トップに居座り続けられる一助となりかねない。

オーナー経営者とガバナンスの未来

この先、大企業だけではなく広く中小企業も含めてガバナンスの考え方はより一層求められるようになるだろう。個人は団体にならなければ会社に対抗できないという価値観も、インフルエンサーの登場により相対化された。また、オーナー経営者の絶対的権力の源泉ともなっていた金融機関からの借入金に対する個人保証も、経営者保証ガイドラインが策定されたことで一定の条件の下で外される方向に向かいつつあり、これも絶対のものではなくなった。

経営者としての寿命も高々80歳前後だろいうという話も今後は絶対のものではなくなる。これらはオーナー経営者の独裁を強める方向にもなるし、ガバナンスを強める方向にもなる。この方向が良い社会を産み出すのか、そうでないのかは分からないが、そういう目で日々の現実を眺めてみると意外な発見があるかもしれない。

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