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試行錯誤の重要性について考えてみよう

Insight

2021.03.31

ディレクター 前田英治

百貨店・アパレル業の生き残り策

百貨店協会が公表した2020年の百貨店業界の年間売上高は、前年比25.7%減少となる4兆2,220億円だった。前年比減少となるのはこれで7年連続となり、売上高が5兆円を下回るのは1975年以来のことであった。もともと百貨店業界自体のマーケットが年々縮小しているところに、コロナ禍のダメージが重なり深刻な経営難に陥っている姿が容易に想像できる。

百貨店側としても手をこまねいているわけではない。伊勢丹新宿本店は2020年11月25日より、店舗へ訪れなくても百貨店の接客でおもてなしができる「三越伊勢丹リモートショッピングアプリ」を公開し、リモート接客へと大きな舵を切った。これにより消費者は家に居ながら百貨店の店舗在庫の商品説明を受けたり、他の商品のレコメンドを受けたりしながら購入まで一気にオンラインで完結できるようになった。さらに2021年2月には日本橋、銀座の三越でも展開が決まり、今後もリモートによる接客の流れは加速していきそうな気配である。

しかしながら、百貨店がEC販売を強化すべきということは、百貨店という業態がもはや安泰ではない中で、コロナ禍とは関係なく検討すべき重要な「オプション」だったはずである。伊勢丹新宿本店といえば、百貨店の中で日本一の規模を誇る店舗である。そのような店舗でさえ、本格的なEC対応にはコロナ禍による強制力が必要だったとあれば、他の百貨店も推して知るべしと言えるだろう。

なぜこうも対応が遅れてしまったのだろうか。その説明には「イノベーションのジレンマ」が相応しいかもしれない。

顧客が必要としているものを提供する姿勢は、元々近江商人をルーツに持つ百貨店ならば当然分かっていたはずだ。たが一方で、百貨店が従来の顧客を大切にしようとし続ければし続けるほど、オンライン販売の必要性は相対的に下がってしまったのではないだろうか。なぜなら、百貨店の全盛期とも言えるバブル崩壊直前の90年代初頭の頃に主な購買層だった人たちも、30年の年月が経過した今では、高齢者層となっているからである。ECで販売を始めたとしても、既存顧客に響く可能性は低く、また新規で若年層を捉えようにも若年層はそもそも百貨店に興味がないため、EC販売の潜在需要が認知されにくい。そうこうしているうちに、アパレル業界ではZOZOTOWNの興隆があり、ZOZO離れが起こり、そしてD2Cのトレンドへと繋がっている。この間、目まぐるしく変化する業界動向と比べると、百貨店の動きは止まっているかのようだ。

このことから分かる様に、その局面において、自社がとりうる選択肢をきちんと認識し、評価することはかなり難しい。では、実際にどうすれば、またどういう状況にあれば、人は選択肢を上手く認識し、正しく評価できるのだろうか。

選択肢の評価という問題は、実はファイナンスの問題でもある。なぜなら、企業活動において将来取りうる選択肢の評価は、一定の数理モデルを用いて定量的に把握されるからである。そこで、まずはファイナンスの世界を覗いてみることにしよう。

ファイナンスにおける選択肢の評価

ファイナンスの世界では、選択肢は現在価値という形で定量化され、把握される。定量化されるということは、具体的にはある選択肢Aは○○円、というように各選択肢を金額で言い表せられるということでもある。

具体的な例で考えてみよう。今、AさんはあるニュースサイトXの有料会員になるかどうか考えている。Xの有料会員の支払いプランは2つあり、一つは月額300円、もう一つは年間一括払いで3,300円(=275円/月)というものだ。年間一括払いの方が、ひと月あたりのコストが安くなっている。

ここで、Xの記事の質や実際に有料会員になっても見る習慣が身につくかどうか不安を抱えているAさんは、次の選択肢を思いついた。

最初の1ヵ月はお試しとして月額払いの300円を選択する。お試し期間中の記事の質や自身の習慣化の状況をもって、期待を満たしていれば1ヵ月後に一年分購読し、期待以下であればその時点で解約して終了させる。

Aさんの場合は、Xが提示している2つの選択肢をうまく組み合わせた上記の選択肢の方が価値は高いと感じるだろう。見方を変えてみれば、Aさんは年間会員に比べると月当たりで割高となった月額会員費を払うことによって、1ヵ月後の撤退オプションを手に入れたと考えられる。年間会員よりも25円だけ割高となった最初の1ヵ月の余分な25円の支出は、撤退オプションの価値だと考えることも可能である。25円の支出をもってオプションを購入することにより、最初から年間会員として3,300円払った後で発生するかもしれない後悔というリスクを回避したのである。

ここで起こったことは、行動→判断→行動のサイクルの短期化と、それによるオプションの発生だ。行動→判断→行動のサイクルの短期化は、別の言葉に言い換えるとすれば「アジリティ」(敏捷性)が適当だろう。

アジリティの重要性

敏捷性という言葉は、トレーニングの時に耳にしたことがあるという人が多いのではないだろうか。実際にスポーツの現場で敏捷性が起こしている現象は、まさに上記の有料会員の意思決定モデルと同じ構造で理解することができる。具体例を挙げるとすれば、FCバルセロナのリオネル・メッシ選手が適切だろう。

メッシ選手のドリブルは、他の選手のドリブルよりも歩幅が極端に少ない。つまり、ドリブルをして同じ距離を走った場合、メッシ選手は他の選手に比べてその間のボールタッチの回数が非常に多い。このため、マークしに来たディフェンダーが後ろに下がりながらドリブルについていく時、その相手ディフェンダーが1歩下がる間にボールを何度も触られるので色々なことに対処しなければならなくなるのである。

説明のために話を定式化してみよう。

「相手ディフェンダーが1歩下がる、その間メッシ選手はドリブルでタッチを2回する」、と仮定した場合、ディフェンダーは1歩下がる以外に選択肢は存在しないのに対し、メッシ選手には以下の選択肢が存在している。

・2回目のタッチで方向転換してドリブルを継続する

・2回目のタッチでドリブルをやめ、ストップする

・2回目のタッチでドリブルをやめ、パスする

・2回目のタッチでドリブルをやめ、シュートする

選択肢にして1対4である。メッシ選手がドリブルで相手ゴールに近づいている間、常にこの局所的な選択肢の非対称性のもとに晒され続け、しかもゴールに近づくにつれシュートの成功率も上昇するのだから、いかにディフェンダーにとって危険な選手かが分かるだろう。

敏捷性は自分の時間を増やすと同時に、相手の時間を奪う。それはすなわち、相手との間に選択肢の非対称性を生じさせ、自分を有利な状況へと導いてくれるのだ。

次に、スポーツだけではなくビジネスの場面でも考えてみよう。

アジャイル開発

ソフトウェアの開発現場では、ウォーターフォールと呼ばれる開発プロセスが古くから存在している。ウォーターフォール開発とは、開発工程をいくつかの工程に分けて順番に取り組んでいく開発手法のことである。ウォーターフォール開発の工程は、「要件定義→基本設計→詳細設計→実装→単体テスト→結合テスト→システムテスト」という流れで行われる。各工程で開発担当者が変わることもあるため、各工程から次の工程へは作り上げたものを正確に伝えるための詳細なドキュメントが作成される。また、基本的にはこの順番の後戻りがないようにスケジュールも組まれていることが多い。

滝として流れている水が決して下から上へ流れないように、ウォーターフォール開発では後工程から前工程への流れは極力生じないように、各工程がきっちりと仕事を終えバトンタッチすることが想定されている。その結果、最初に要件定義した内容が、本当にソフトウェアで実現できているかどうかを確かめる場面は、工程最後のシステムテストの段階でやってくる。しかし、ソフトウェアを作ってから初めて分かることも多々あるため、最後の工程になってから後戻りが生じてしまうこともしばしばだ。また、ソフトウェアとしてなんらかの動作をするものが出来上がるのも、工程中盤の実装フェーズを終えた段階である。

このような開発プロセスに内在するリスクを低減する方法として導入されたのが、アジャイル開発である。アジャイル開発とは、2001年に米国のソフトウェアエンジニア達がまとめた「アジャイルソフトウェア開発宣言」の価値観に基づくソフトウェア開発プロセスである。そこで宣言された内容は下記の通りだ。

プロセスやツールよりも個人と対話を

包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを

契約交渉よりも顧客との協調を

計画に従うことよりも変化への対応を

こうした価値観に基づき、アジャイル開発では短い期間で動くソフトウェアをリリースし、フィードバックを受け、改善するというプロセスが尊重される。ウォーターフォール開発が全体としての工程を一回で回し切るような構造をしているのに対し、アジャイル開発では最低限動く簡易なソフトウェアを短期間に作り、それを実際に顧客に使ってもらいながらフィードバックを受け、その内容を反映してソフトウェアのバージョンアップを繰り返しながら開発が進んでいく点が大きく異なっている。

アジャイル開発は言うまでもなくスピード(アジリティ)に価値観を置いている。ここで言うスピードは、全体としての工程をひと回転させるスピードではなく、事前に予想できなかったような開発プロセスの中での気付きや、環境変化への俊敏な対応スピードである。

こうした開発プロセスは開発の進行とともに見えてきた選択肢にその時点で対応することが可能となる点で、不確実な(=事前に予測困難な)環境変化に対して柔軟なプロセスであると言える。

では、柔軟であればあるほどいいのだろうか。

確かに豊富な選択肢から選べるとなると、失敗のリスクは下げられそうだ。ところが、膨大な選択肢を前にすると、人は選択できなくなる。不確実な環境下という意味では、ソフトウェアの開発現場だけではなく、スタートアップが直面する事業環境も極めてよく当てはまる。その現場ではどういう対応がなされているのだろうか。

リーン・スタートアップ

スタートアップの立ち上げ当初は、まだプロダクトやサービスすらできていない段階で、あるのは未検証の仮説としての構想である。このような状況下でいきなりプロダクトの詳細まで詰めていくような開発を行うと、時間と資金を投じた割にはマーケットが無かった、ということになりかねない。実際世の中の新しいサービスや製品の大半はこのような運命を辿っている。

そこで、エリック・リースにより提唱された「リーン・スタートアップ」が注目された。このスタートアップのためのマネジメント手法は、コストをかけずに最小限の製品・サービスを最短で作り、顧客の反応をみて、顧客がより満足できる製品・サービスづくりを行うというものだ。

リーン・スタートアップが想定するマネジメントのサイクルは下記のようなものである。

構築 → 計測 → 学習 → ピボット

最初の「構築」は、自分の洞察から得られた顧客のニーズやそれを満たすアイデア・サービスといったものをまずは形にするという段階で、この段階でのアウトプットをMVP(Minimum Valuable Product)と呼ぶ。MVPには色々なケースがある。簡易なプロトタイプを作る場合や、中身を作る前に紙ペラ一枚だけでカスタマーリサーチをかける場合、スモークテストと言われるサービス紹介ビデオだけを先に作ってから顧客の反応を見る場合などだ。

次に、「計測」の段階では試作品となるMVPが顧客からどのような反応を得られたのか見る段階である。この段階では、一部の少人数に絞られた顧客にMVPを試してもらい、その反応を得る。

その次の「学習」の段階では、得られた反応をもとに、当初MVPを製作した時の仮説が正しかったかどうかを判定する。「学習」の結果、改良が必要な場合はさらにMVPに改良を加え、再度「計測」のステップに入る。また、そもそもニーズが存在していなかったことがわかった場合は、作ったMVPを捨てて方向転換する。これが「ピボット」である。

このようなサイクルを繰り返すことによって、顧客の望まないものを作るリスクを最小限に抑えつつ、かつ成長可能性の高い分野にリソースを集中できるのだ。ここでいう「ピボット」は、MVPを最短で作って顧客の反応を見たことにより、方向転換できるオプションが生じたものと考えることができるだろう。

こうしてスタートアップの非常に大きな不確実性は、リーン・スタートアップのマネジメントによってより精緻に絞り込まれた少数の選択問題へと変換されるのである。

アジリティと時間とオプションの関係

さて、ここで一度これまでの内容をまとめてみよう。

アジリティは、それを発揮した主体に時間をもたらすことになる。局所的に見た場合、時間はゼロ・サム・ゲームのように振る舞うので、一方にとっての時間の創出は、他方にとって時間の喪失になる。しかし時間の流れは万人に共通であるため、実際には時間を媒介として選択肢の数と質が変動している。時間を創出した側の選択肢の質は向上し、数も増える。他方、時間を奪われた側の選択肢の質は下落し、数も減ってしまう。

先述した3つの概念の相互関係を念頭に置いて、さらに別の角度からこの相互関係について考えてみよう。

試行錯誤の重要性

アジャイル開発やリーン・スタートアップの考え方に共通しているのは、事前に全ての情報が分かるわけではない、言ってみれば「やってみないと分からない」世界があることを前提としていることだ。別の言い方をすると「試行錯誤」である。移り変わりの速い現代においては、試行錯誤から得られる学びの価値が相対的に大きくなると言えるだろう。

しかし一方で、「試行錯誤が重要だ」と改めて言ってみたところで、それは当たり前だろうという感覚があるのも否めない。試行錯誤自体は、人類が昔から脈々と行なってきたことでもある。火を起こすために木と木の摩擦熱を使う方法や火打ち石を使う方法などは、色々な素材同士を擦ったり打ちつけたりして膨大な数の失敗を積み重ねた結果生み出されたものに違いない。

側から見ればなんとも要領が悪いやり方のようにも思えるが、現代人は何千年もの歴史とテクノロジーの発展を積み重ねた挙句、エレガントに電子を使って原始時代と同じことをしているに過ぎないのだろうか?試行錯誤の重要性を今唱えることに、何か特別な意味があるのだろうか?

近代社会は科学の発展とともに進歩してきたという思想は今でも根強い。人間は科学の力で自然を克服してきたという考え方である。1960年代、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、未開社会が基本的には新石器時代から何も進歩せず同じ生活を習慣的に繰り返しているのみであり、それが何万年と続こうがそこに西洋を中心とした進歩と発展の結晶でもある「歴史」は存在しないといった。

確かに、西欧的進歩史観から見た先住民たちの生活は、時間が止まっているかのようなものだったことだろう。これに対し、アマゾンの奥地に住む先住民たちを対象に人類学の研究を行なっていたフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは1962年、著作「野生の思考」において文明社会の特徴である科学的思考に対比する形で未開社会の思考の特徴に着目し、決して野生の思考が科学的思考に対して劣るものではなく、むしろ両者は根底部分で共通しているという発表を行なった。

野生の思考

科学的思考の特徴として挙げられるのは、まずなんらかの「概念」を作り出すところから始まるという点である。例えばF=maで表されるニュートンの運動方程式などがそうだろう。Fが表す「力」は、何か特定の物体でもないし、目に見えるものでもなく、ある物体の質量mと加速度aの積として表現された「概念」である。なぜ積として表すのか?ということについては、そのように力を定義することが物体の運動やそこに働く力を記述しようとする力学にとっては都合が良かったから、ということになるだろう。つまり、概念は抽象的なものであり、できるだけ具体的な要素は取り除くことで、特定の用途に合うように人間が作り出した知的道具なのである。

他方、先住民の思考の特徴は「記号」である、とレヴィ=ストロースは述べている。「記号」を理解するには、我々人間が操る言葉とそれが指し示す内容の関係に目を向けねばならない。例えば、我々が「ねこ」と言った時、①単なる「ね」と「こ」というひらがなが連続したものという意味合いと、②その組み合わせによって「猫と我々が認識しているあの生き物」を指し示すという2つの現象が起こっている。この時、①は②を指し示す「記号」である、というふうに考える。日本語の場合は「ねこ」だが、もちろん英語であれば「cat」であり、①は言語によって異なるものである。

先住民の思考の特徴としての「記号」は、言葉とそれが表す事象といった単純な対応関係だけではない。それは、現代人である我々も思考の特徴として持っている。隠喩や換喩といった操作も日常的に行われている。隠喩とはメタファーのことであり、「女性は花である」と言う時、女性は花のように、美しいとか可憐であるとかそういう例えを表している。また、王様を表す冠のマークは、王様そのものの一部を象徴的に表したもので、これが換喩である。

このように「記号」を用いて対象を認識し、比喩の関係で自然界と人間の認識とを結びつけていく野生の思考の特徴は、科学的思考でいうところの「概念」とは異なり、「記号」と対象物との関係性が絶え間なくずれ続けていくというところにある。このような関係性は野生の思考のもう一つの大きな特徴である「ブリコラージュ」と密接な関係を持っている。

ブリコラージュ

ブリコラージュとは、寄せ集めて自分で作る、日曜大工的な器用仕事といったニュアンスのフランス語である。もともとの用途が済んでなんらかの役に立つかもしれないと思ったもの、または出来事をとっておいて、後でそれらを寄せ集めて眼前に必要なものを作り上げるというイメージである。

このイメージは自分の手に届く範囲のものを使ってなんとかその場を凌ぐというニュアンスが強い。したがって本来の用途とは別の用途への転用が起こり、転用が起こる過程には試行錯誤が伴う。

「記号」がそれを表す対象物との関係性をずらしていくのと同様に、ブリコラージュは転用を通してある出来事の破片を記号的に運用する。本来の用途を離れて自由にものや出来事を組み合わせるので、そこには豊穣な文化が育まれやすい。実際に、ブリコラージュの手法に着目したアートは現代アートも含め多数存在する。一つ代表例を挙げるとすれば、20世紀初めの頃に芸術界の大きなうねりとなったシュルレアリスムの代表的作品とも言われる、マルセル・デュシャン作の「泉」が挙げられる。これは、単なる便器を芸術作品として発表したものであった。

大雨と買い物と夕食の問題

ブリコラージュ的発想と、科学的発想との対比を見るためにここで一つ例を考えよう。大雨が降っている中で夕食をどうするかという問題である。大雨が降っているため、買い物に行くには億劫である。できれば外出したくない。そんなシチュエーションを想定してみよう。

一つの考えは、冷蔵庫の中にあるものを使ってその日の夕食を作り上げることである。これはブリコラージュそのものである。もう一つは、そもそも前もって天気予報で翌日の雨を察知し、通常ならば大雨の当日に買い物に行くはずだったところを前倒しで晴れの前日に買い物を済ませ、大雨当日は豊富な選択肢の中から夕食のメニューを考えるというアプローチである。これは科学的発想に基づくアプローチといえよう。

後者の科学的アプローチでは、先述の「アジリティ=時間=オプション」モデルと同じ現象が起こっている。買い物のリードタイムを意図的に短縮する(アジリティ)ことで時間を在庫として保存し、大雨当日には在庫を媒介として時間的余裕が生まれ、それがオプションを充実させる、という流れだ。

一方、前者のブリコラージュ的アプローチはどうだろうか。冷蔵庫にあるものを使うということは、買い物に行く時間をカットするということでもあり、スピードを重視しているとも考えられなくもないが、どちらかというと手に届く範囲のものしか作れないという選択肢の限界を受け入れているとも言える。

つまり、選択肢の限界を受け入れることで、時間を超越しているのだ。そこに、それ以上のオプションは必要なくなってしまう。あるのは組み合わせの自由だけであり、その自由度は何か新しいものを生み出す土壌となる。

この例で重要なのは、2つのアプローチの「違い」ではない。違う部分もあるのは確かだが、実際のところ科学的アプローチにしてもとりうる選択肢は天気予報の精度に依存し、その精度の高低は買い物に行くかどうかを決定する上で受け入れるしかないのだ。そういう意味では、手に届く範囲のものを使って判断しており、有り合わせのものでなんとかしようというブリコラージュの精神と大差はないのである。

つまり、科学的思考と野生の思考とは、2項対立のように2つの極点が対立しているのではなく、一つに繋がった直線の両極の関係なのだ。両者の間にある直線は連続的に隙間が埋まっており、2極のどちらかではなく、単なる程度問題だということである。

試行錯誤再考

「アジリティ=時間=オプション」モデルは、効率性の追求が背景にある。試行錯誤そのものではなく、試行錯誤の効率性に主眼を置いている。現実にとどまることを是とせず、今ここにはない理想の姿を追求する性質を伴う。そこに効率性が求められるのは、競争しているからであり、背景にあるのは競争社会なのだ。

「ブリコラージュ=時間の超越=選択」からの解放モデルは、試行錯誤と創意工夫そのものが目的となる。そこから偶然に目的外の成功が舞い込んでくることもあるが、事前にそれをコントロールすることは困難である。

競争社会の最先端であり続ける現代は、データ社会であると言われる。A/Bテストでどのようなバナーをどの位置に置けばコンバージョン率が上がるのかを検証したり、心拍や睡眠時間、歩数などの基本的なデータをウェアラブル端末で収集したりしている。これらのデータを通して人間の認知メカニズムだったり、生体情報の動きだったりを、あたかも自然をモニターするかのように人間の反応をモニターしているのだ。

かつて科学は、自然を客観的に眺める主体として人間を区別した。人間の存在は自然から切り離されたのだ。ところが現在、我々が血ナマコになって収集しているのは他ではない、人間のデータである。現代の人間は、人間の中にある無数の宇宙の存在を試行錯誤により模索している。そう考えると、なぜ現代が試行錯誤重視の時代になったのかも理解できる。結局は一番よく理解していると思っていた人間そのものも、未知なる自然の一部だったのだ。

ここに、人間と自然との比喩を通じて自分達の位置付けを考え続ける野生の思考が再び萌芽する余地がある。競争社会への適応とはまた違った、ブリコラージュが生み出す豊かな組み合わせこそが、新たな可能性を導く時代に差し掛かっているのかもしれない。

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